教員から見た学校と子供の話をしよう

学校に勤める中で経験した事。それについての考察を発信しています。同業者はもちろん、子供が何を考えているのか分からない保護者や、友達について理解したい子供に役に立つ情報を届けます。(元タイトル:空の深さを知る)twitter : https://twitter.com/j78wtQKi66jYUIR

このブログの趣旨をもう一度見直す

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どうも。空蛙です。

 

はじめに

いつもご拝読ありがとうございます。

僕はこのブログを通して信用を積み重ねていきたいと思っています。

つまり読者の皆さんを裏切らないようにしていきたいと考えております。

裏切らないとはどういうことか。

間違えてほしくないのは、僕が皆さんに迎合するということではありません。

それは、自分の書きたいことに嘘をつく。ということになってしまいますから。

 

読者の皆さんはご自身の貴重な時間を削って読んでくださっています。

なので、その貴重な時間を無駄にさせないような記事づくりを心掛けていきたいと思っています。

そのためにも、今日は僕がなぜこのブログを書くのか改めて書き記します。

今日もお付き合いよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前置き

僕には人生のテーマがあります。

それは以前記事にもしました。

senryharami.hatenablog.com

9月10日の記事です。だいぶ懐かしいなあ。

ここにも書いてある通り、僕の人生のテーマは自由。

そして2か月後。僕は迷った。

senryharami.hatenablog.com

ちょうど2か月後の僕の記事。

自由に生きることの限界が書いてある。

そして、自由に生きることをやめた。自分のために生きるべきか人のために生きるべきか悩んだ。

結果、僕は自分の好きな自分でいることを決意した。

 

 

 

それから3週間。

僕の考え方は変わってきている。

あの時の自分に何が足りなかったのか、自分の好きな自分とはいったい何だったのか。

少しずつ見えるようになってきた。

自由を求めすぎた自分は、人に興味を持つことを忘れていた。

僕の視界には僕しか映っていなかった。僕が良ければいい。そんな独善的な態度だった。

決して、自由を求めて生きることが悪いわけでは無かったんだ。

ただ自由に生きる中で人に興味を持つという大切なことを忘れた自分が悪かったのだ。

 

もう一つ。

自分が好きな自分とは、自分の時間を放り出してでも、困った人を助ける自分だった。

自分に救難信号を出している人を助けることが、僕が僕を好きでいる瞬間なのだ。

これも僕の視界に僕しか映らなくなってしまったことによって忘れていた。

しかし、ある曲を聴いて僕の心が揺さぶられたことによって僕は思い出した。

www.facebook.com

BUMP OF CHICKENメーデーという曲である。

 

歌詞(一部)

君に嫌われた君の沈黙が聞こえた

君の目の前にいるのに遠くから聞こえた

発信源を探したら辿り着いた水溜まり

これが人の心なら深さなど解らない

呼ばれたのが僕でも僕じゃないとしても

どうでもいい事だろう 問題は別にあるんだ

息は持つだろうか 深い心の底まで

君が沈めた君を見つけるまで潜るつもりさ

苦しさと比例して僕らは近づける

再び呼吸をする時は君と一緒に

メーデー

 

僕は誰かを助けようとしている時の自分が一番好きなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜブログを書くのか

前置きが長くなった。

なぜブログを書くのか。

僕はずっと思っていることがある。

それは、僕みたいに生きたら皆も楽しく生きられるのにということだ。

生きるのがつらそうな人をよく見かける。

自分で自分を縛ってしまい、生きることが窮屈なのだ。

そんな人に対していつももっと自由に生きていいのにと思っていた。

だから僕は、僕みたいに生きてもらうためにブログを書く。

つまり、僕がどう考えてどう生きているかというのを発信していきたいのだ。

読者の皆様には、「なるほど、こうやって生きれば楽しく生きられるのか。」という風に思って頂きたい。

 

 

 

そのために大切なことが二つある。

一つは、僕の考えを理解してもらうこと。

もう一つは、自分が何を考えているのかを理解すること。

どう生きるか。どう考えるか。

このブログは、自己啓発や哲学に寄った内容でお届けしていくつもりである。

それに、お金や生き方や音楽の話題を織り交ぜてトピックを作っていく。

生き方に困っている人に、一つでも生き方や考え方の参考になることができればと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おわり。