教員から見た学校と子供の話をしよう

学校に勤める中で経験した事。それについての考察を発信しています。同業者はもちろん、子供が何を考えているのか分からない保護者や、友達について理解したい子供に役に立つ情報を届けます。(元タイトル:空の深さを知る)twitter : https://twitter.com/j78wtQKi66jYUIR

生き方に迷ったら見返してほしい。

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どうも。空蛙です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トラウマはふと思い出される

「武士であるとか町人であるとか、そういうものはこの世の借り着で、正真正銘なのは人間いっぴきの坂本竜馬だけである。と竜馬は思っている。」

竜馬がゆくからの引用だ。

 

僕はこの考え方が好きだった。

そして同じように考えていた。

身分とか地位とか間柄とかそんなものは関係ない。

そんなものすべてを引っぺがして、ただ人間として人と関わりたいと思う。

もちろん世間一般の人と考え方がずれていることは分かっている。

そんなことを言っても、どこにでも身分による格差や、地位による権力、間柄による偏見は存在する。

もしかしたら自分を生き辛くするだけかもしれない。

学校の先生に、君は少し人とズレていると怒られたときもあった。

それでも世間や常識という言葉は嫌いだし、ズレていても生きていけると思っていたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

限界

自由に生きたい。

ここんとこ強くそう願っていた。

何事にも縛られず自由に生きる。

これが人生を豊かに送る手段だと思っていた。

そして限界を迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕をひどく迷わせる

僕の自由が人を傷つけている。

僕の幸せが人を不幸にする。

自由に生きることは、誰彼にも一切の責任を負わない弱さではないのか。

その疑問を抱いてしまった。

自由に生きることで失物だらけだ。

僕の生き方は間違っていた。もっと礼をもって生きる方が自分は幸せになるかもしれない。そう思った。

 

今思い返せばずっと、自由に生きるか、礼をもって生きるかで揺れていた人生だ。

自分を中心に生きるか、人を中心に生きるかで迷っている。

思いやりや気遣いを中心に生きる。人の気持ちに寄り添って生きる。僕はそんな生き方を選ぶことも出来る。

でもそれでいいのだろうか。何か違うと思う。

別に自分を中心に生きていたって、僕にも誰かの幸せを願いたいときもあるし、その願いが人を傷つけるときもある。

ただ迷った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の中に残ったもの

誰にも譲れないものを一つ。それがあればいい。

どっちの生き方もきっと僕を迷わせる。

だから一つ譲れないものを決めようと思った。

その譲れないものを判断規準にする。

そのためなら人の気持ちを優先するし、人を切ってでも自分の気持ちを取る。

本当に失くして困るものは何か。

 

もし一つだけ選べるなら。

 

僕は何を選ぶ。

 

考え抜いた。そして一つ心に残った。

 

そんな自分が好きか。

 

これだけは譲らずに生きる。

誰に誤解されようと、何を失おうとも、自分が自分を嫌いになるような生き方はしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おわり。