教員から見た学校と子供の話をしよう

学校に勤める中で経験した事。それについての考察を発信しています。同業者はもちろん、子供が何を考えているのか分からない保護者や、友達について理解したい子供に役に立つ情報を届けます。(元タイトル:空の深さを知る)twitter : https://twitter.com/j78wtQKi66jYUIR

「頑張りたい」「頑張れない」そう思ってる人に向ける。「頑張る」とは何かっていう話。

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どうも。空蛙です。

 

きっかけ

LINEが一通。

ピロンと鳴る。

僕は考え事をやめ、携帯を開く。

女友達からLINEが。

 

 

 

「今日はだらだらゴロゴロするに限る」

 

 

 

ふむ。

暇なのだろう。

若い女の子が休日に家にいるのはとても勿体ないと思う。

まあそれはいいとして。僕はLINEを返した。

 

 

 

「そんな生き方もありだねー」

 

 

 

「今日も1日幸せやんなぁ」

 

 

 

何気ない会話だ。

だが僕の心は動いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダメな僕

だらだらゴロゴロして過ごす。

こんな幸せなことはない。

僕もそうして生きたいとやっぱり思う。

 

 

 

僕はもともとだらだらするのが好きな人間なのだ。

ゲームが好きで、クラロワなどというゲームは毎日4時間くらいやらないと寝れなくなるくらいハマっていた。

 

 

 

少しだけ迷う。

そういう生き方に戻っても良いと。

僕はそんな人生が悪いとは思わない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頑張っている人へ

頑張っていたい人。頑張っている人っていると思う。

僕もそのうちの一人だ。

頑張る理由は人それぞれ。

 

 

 

僕は、頑張っていれば差がつくと思うから。

10年後、友達や同世代の人に負けたくない。

だから頑張っている。

頑張っている人は好きだ。一緒に頑張ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頑張る頑張らないというのは選択ではない

だが、一つ言いたい。

そもそも頑張っていない人なんていない。

こんな話を聞いたことがある。

それは、

 

 

 

 

 

 

「人間は自分にとって最良の選択をすることしかできない」

 

 

 

ということだ。

少し難しい。

「しかできない」の部分がポイントになる。

 

 

 

人は、自分の能力(判断力、人間力、環境、目標、体調、etc...)を限界まで使って最良の選択をするのだ。

だから頑張るとか、頑張らない、とかは本来存在しない。

例を出そう。

 

 

 

例えば授業中。

生徒にはいろんな奴がいる。

 

 

 

一生懸命聞いているやつ。

喋っているやつ。

寝ているやつ。

 

 

 

授業を聞かなきゃヤバい。

でもみんなこう思ってる。

 

 

 

授業を聞かなきゃヤバい、から、一生懸命聞く。

授業を聞かなきゃヤバい、のに、喋っちゃう。

授業を聞かなきゃヤバい、のに、寝ちゃう。

 

 

 

そいつらは自分の能力で最良の選択しただけ。今の自分の能力でできる限界のことをやっているだけ。

そこに頑張る頑張らないという差はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頑張るとは何か

「人間は自分にとって最良の選択をすることしかできない」

先程述べたポイントの部分に話を戻そう。

 「しかできない」

どういうことなのか。

 

 

 

そもそも、最良の選択というのは、選択をする以前に決まっている。

選択肢が出された時点で、その人にとっての最良の選択というのは一つしかない。

つまり、選択という言葉が使われているが、実質選択をしていない。

最良の選択という決められたものを選んでいるに過ぎない。

 

 

 

もうすこし分かりやすくしてみよう。

はじめに間違った例で考えてみる。

 

 

 

自分は今、一本道を歩いている。

しばらく歩くと、目の前に分かれ道がある。

左の道には「頑張る」と書いてある。

右の道には「頑張らない」と書いてある。

あなたはどちらかの道を選択して歩みを進める。

 

 

 

これが間違っている。

 

 

 

あなたにとっての最良の道というのは、分かれ道に来た時点ですでに決まっている。

左の道にせよ、右の道にせよだ。

あなたはそのすでに決まった道を進むこと「しかできない」。

だから本当は分かれ道なんてないのだ。

分かれ道に見えた道も、実はただの一本道なのだ。

 

 

 

つまり、頑張る、頑張らないという区別なんて実は存在しない。

強いて言うなら、

左の道でも右の道でも、道を進んでいくこと。それ自体が頑張っているといえるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


何が言いたいか

だから、自分は頑張っていないなんて思わないでほしい。

あなたは既に頑張っている。

皆やっていることは一緒だ。

自分の道を進んでいるだけなのだ。

 

 

 

隣のあいつは上に向かう上り坂を歩いているかもしれない。

自分の道は下に向かう下り坂かもしれない。

人によって進む道は違う。それでいい。

 

 

 

大事なことは、自分の目標、人生のゴールという宝物をどこに置くかだ。

山の頂上にあるのかもしれない。

谷底にあるのかもしれない。

 

 

 

一番悲惨なことは、

宝物は頂上にあるのに、下り坂を進むこと。

宝物が谷底にあるのに、上り坂を進むこと。

 

 

 

宝物のある方に向かっていれば、その道は上り坂でも下り坂でもどちらでも良いのだ。

 

 

 

最後まで話が散らかってしまったが、目標を見失うなということでこの記事を終わりにしたい。

変な着地の仕方で申し訳ない。(笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おわり。