教員から見た学校と子供の話をしよう

学校に勤める中で経験した事。それについての考察を発信しています。同業者はもちろん、子供が何を考えているのか分からない保護者や、友達について理解したい子供に役に立つ情報を届けます。(元タイトル:空の深さを知る)twitter : https://twitter.com/j78wtQKi66jYUIR

逃げと学び。読書とブログ。学ぶこととは何だろうか。

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どうも。空蛙です。

 

 

 

読書の良さ

今年になってから僕が熱意を傾けているもの、それは読書です。

空いた時間を見つけてはフラッと古本屋に行き、あらかじめ目星をつけていた本を探しまとめて買っていました。

いつも読むのは決まって寝る準備が終わってから寝るまでの数十分でした。

本を読むと自分が良い時間を過ごしている感覚になります。その感覚が好きで本を読んでいました。

実際、自分の知識も増えたましたし、役に立つこともたくさん学べました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本を気持ちよく読めなくなった

そのように毎日気持ちよく本を読んでいたのですが、ある日を境に本を読むと違和感を感じるようになってきました。

違和感の正体は「逃げ」でした。

それまで僕は本を読むことで自分は日々成長していると信じていました。

しかし、本を読んでいると徐々に「なに逃げているんだ」と自分を責めるようになっていました。

読書という行為が自分のためになる行為として正しいのか、疑問を抱くようになってきたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

学びの間違った捉え方

下手の考え休むに似たりという言葉があります。

ただやみくもに考えることは、休むこと変わらないよという意味です。

つまり、何かを学ぶということに関していえば、ただ考えるだけでは何も学べていないということです。

例えば、数学ができない生徒にはある共通点があります。

それは考えるということを勘違いしているということです。

先生が黒板に写したものを一生懸命に書き写す。そしてそれを見ながら似たような問題を同じやり方で解く。それが数学を考えることだと勘違いしています。

本を読むということは黒板の字を見る事と同じです。考えているようで何も考えていないのです。それは休んでいることと一緒です。

こうして本を読むことは逃げだと感じるようになったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学ぶとは

数学ができるようになるには、先生の話を理解し、それを問題を解くということを通して表現して、教わったことを自分のものにすることです。

出した答えが間違っていても構いません。

自分の理解がどこか間違っていたことに気付くことができるからです。

このように情報の発信者の意図を理解し、それを自分なりに表現してみる事によって人は学ぶことができます。その時初めて頭を使ったことになるのです。

いろんな知識を身に付けるために本を読んでいましたが、知識を学び自分のものにするためには本をただ読むだけではいけません。情報を自分なりに咀嚼して再構築する必要があったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

逃げと学び。読書とブログ。

そのようなことがきっかけで僕はこのブログを始めることにしました。

本から得た知識を、自分の経験を根拠にまとめています。

そうして、学んだことを自分のものにして初めて、本を読むことが休むことではなく学ぶことにつながると思います。

アウトプットという行動に繋げることは何かきっかけがないと難しいと思います。

ですが、当ブログが皆さんの背中を押すことに繋がれば幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おわり。